歯磨きの度に、亡き祖母を思い出す。

梅田隼人(42)は、いつものように、歯磨きをしていた。

洗面台の鏡に映る自分の姿。そして口の中。

虫歯は、治療して銀歯になっている。

しかしそれは、亡き祖母の愛情の証(あかし)だった。

「おばあちゃん・・・」

隼人の祖母は、太平洋戦争で、息子を三人も亡くした。
徴兵されて、兵士として亡くなったのだ。

隼人の父は、末っ子で幼かったため、生き残った。

戦争で息子達を亡くした祖母は、
孫の面倒を見ることで、悲しみを忘れようとしていた。

実際に祖母は、多くの孫達を育てた。

祖父と祖母だけの家は、広くて寂しい。

孫がいると、日中だけでも賑やかになるのだ。

今から40年以上も前の話になる。

隼人の面倒を見ていた時、祖母はもう80歳を超えていた。

高齢の祖母を気遣い、反対する親戚もいた。

後になって聞いた話だが、

乳飲み子だった隼人をおんぶして、道を渡っている祖母の姿を見た近所の人が、
「危ない」と、母に知らせたらしい。

80歳を超える老婆が、腰より低く赤ん坊を背負い、
交通量の多い道を渡っていたんだから、誰が見ても危なっかしい。

ビックリした隼人の両親は、子供を保育園にあずけることにした。

でも「孫を育てる楽しみを奪わないでくれ」と、祖母が涙ながらにお願いした。

その後も隼人は、祖母に育てられることになった。

祖母自身も、体力の限界を感じてはいた。
高齢だった祖母が面倒を見た、最後の孫が隼人だ。

だから祖母は、隼人をとても可愛がった。

オモチャを買ってもらった記憶は無いが、

祖母の家には、いつもお菓子や飲み物が用意されていた。

無い時でも、隼人が遊びに来ると、
80歳を過ぎる老婆が、往復数百メートルの距離にある売店まで、
いっしょに買いに行ってくれた。

隼人は好きなだけお菓子が食べられた。炭酸飲料も飲み放題だ。
小学生にとっては夢の国だ。

しかも「食べたら歯磨きしなさい!」と、お母さんのようなことは言わない。

子供が嫌がる、歯医者さんにも連れて行かない。

そのため隼人は、虫歯が多いのだ。歯並びも悪い。

思春期には、コンプレックスになるのだが。

しかし大人になった隼人は、虫歯を後悔していない。

祖母が可愛がってくれた跡なのだから。

また、小学生になった隼人に、祖母は毎日夕食を作ってくれた。

レパートリーは少ないが、隼人は祖母の料理が好きだった。

隼人にとって、母の味とは、祖母の味だ。

祖母は隼人が大学を卒業し、就職してから3ヶ月ほどで亡くなった。
103歳だった。

亡くなる直前まで、ボケることは無く、意識はしっかりしていた。

まるで隼人が一人前になるのを、見届けるために頑張ったようだ。

それからもう20年が経つ。

「もう一度、祖母に会いたい」
「あの玉子焼きが食べたい」

今日も銀歯を見ては、亡き祖母を思い出す。

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